これだけで、ずいぶん違います。そして、いかに自分が『〜ねばならない』を使っていたかに気づきました。
私は、主にフェルデンクライスメソッドを学んでいますが、とてもわかりやすい言葉で私に気づきを与えてくれるのが、アレクサンダーテクニークの創始者、アレクサンダーの言葉です。
『〜ねばならない』を『〜する必要がある』に変える。
へー。なるほどね。
簡単そうだからやってみようかなと思って、言葉の置き換えを始めたのが約3ヶ月前のことです。
フェルデンクライスもアレクサンダーも同じことを言っているのが、
物事には『絶対』ということはないということ。
例えば自分はこれが絶対にできないと思っていることがあるとしたら、それは自分が今やっている方法ではできないのであって、それが可能になる方法は他にあるよ、という考え方です。
これはピアノの練習においても、フェルデンクライスの動きの探求においても実感できることです。
これ以上速く弾けないと感じたり、持病のジストニアで左手がぜんっぜん弾けなーいとか、あるいは、前回のブログで載せたフェルデンクライスの動きの動画『本を乗せる動き』、最初はできる気がしませんでした。
不可能に見えるのは、『今やっている方法ではできない』ということだから、『他の方法を探してみよう』と探求し続けると、見つかります。特に『本を乗せる動き』は、わかりやすいですね。
絶対にしなくてはいけないことなど、この世に一つもありません。
例えば私がもっとも嫌いな『お皿洗い』、ひどいと3日くらいためていますが・・・。
これを「今日こそは洗わねばいけない」と、思っているとますます暗い気持ちになって、自分のことが嫌いになってきます。
これを、「今日こそは洗う必要がある」に変えたとき、何かが自分の中で変わったのがわかりました。
- なんとなく前向きなセリフな気がするから、自分がえらいと思えてくる。
- 『ねばならない』と思っていたときに感じていた緊張感が、緩んだのを感じる。
- 『洗う必要がある』ってことは、今日洗わなくてもいいのか。と考えたら洗う気持ちになり、結果的に洗うことができた。
ピアノの練習に対してもそうです。
乗り気ではない日というのは、それを仕事にしていてもありますが、そんな日には必ず
「あ〜。あの曲やらなきゃ。あそこ弾けるようにしなきゃ。」などと考えています。
それを、「あの曲やる必要がある。あそこを弾けるようにする必要がある。」と言葉を置き換えただけで、何かから解放された感覚があったのです。
フェルデンクライスは、『強迫的に起こる緊張感』が良くないと言っています。
『〜ねばならない』というのは、まさに強迫的な言葉ですよね。
それで私たちは、自分自身を知らないうちに緊張させ、本来はできることを不可能にしています。
お子さん(あるいはご自身)に何か声をかける時には、
『ピアノ練習しなくちゃいけない!』という思考にならないようにする必要があります。
『ピアノ練習する必要あるな〜、でもあれもやりたいな、これもやりたいな、じゃあこれの後にピアノをやろう。』
まず、練習を強迫的に考えず、選択肢は他にもあることがわかっていて、自分でやりたいことを選ぶことができる。
こういう考え方をお子さん(ご自身)が持てるようになったら最高ですね!
大雪の後には(おすすめ演奏動画)
少しマイナーな「メトネル」という作曲家の作品で、『忘れられた調べ第2集』より第3番 プリマヴェーラ(春)
Medtner / Vergessene Weisen ( Forgotten melodies ) [ book 2] Op.39-3 "Primavera"。
草花や木々がほんの少し訪れるあたたかさに触れて、生命力を広げていく、そんなイメージがします。
行田教室に1ヶ月に1度、岐阜からいらしてスペシャルレッスンを行ってくださる『ウーーノ』先生の演奏です。