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教えられる側になってきづくこといろいろ。《保育園年長男子、レッスン風景もあります。》

行田教室のかなざわは、現在2人の先生にピアノを習っていますが、教えられる側になって気づくことがたくさんあります。

かなざわは、フェルデンクライスやジェレミークラウスなどの学びの他に、それでも全く勉強が足りないと感じるため、2人の先生にピアノを習っています。

 

1人は、ピアニストの宇野正志先生、もう一人は、チェリストの福富祥子先生です。お二人とも、素晴らしい演奏家であり、指導者です。

お二人が言うことは、一見、全く違うことであるかのように思えることがあります。

 

で、最初はどっちの弾き方で弾こうかなあなどと悩んでいたわけなのですが、途中から、

『うまく弾ければ、言ったことと違っていても何も文句は言われないんだな』とわかりました。

いえ、そもそも言いたいことは実は同じで、私が「違うことを言っているように聴こえている」だけだったのです。

 

 

お二人のような一流の音楽家が演奏を聴いたとき、こうしたら良いんじゃないかな、ここに違和感があるなと感じることというのは、同じ内容です。

違うのは、先生方の通ってきた環境、すなわち経験です。

お二人がそれぞれ経験で獲得したことを使って、異なる方法で、目指すものに導こうとしてくださる。

そしてそれを、わたしは「違うことを言われた」と感じるのです。

 

難しいですが、ピアノに限らず、2名以上の先生に同じことを教わる機会のある方は、やろうとしていることの本質がなにかを見極め、それが達成できれば、文句を言われる事態にはあまりならない、ということを覚えていてほしいです。

 

指導者から言われることは、上達のための1つの手段にすぎず、絶対にやらなければならないものではないのです。

なぜ、そのように言われたのかなと考えると、本質が見えたりします。

 

それから、福富先生がおっしゃっていた、指導に対する考え方で、非常に的を得ているなと感じたことがありました。

「先生から言われたことは、医者の処方と同じ」

ということです。

風邪をひいてお医者さんに行った、風邪薬をもらった。

3日は、この薬を飲んでその後は違う薬を飲んで、それで調子がよくならなければまたいらっしゃい。

という感じですよね。

先生が言うことはそれと同じとおっしゃいました。

 

あるレッスンではリズムを変化させる練習が必要だった、でもその後のレッスンでは、もう必要なくなり、強弱に気をつける必要があった、次のレッスンではイメージをつけて弾いてみることが指示された、などなど。

 

あるときに、この方法がうまくいったからと言って、それをずっと続けることがよいかと言ったら、それは違います。

この薬は、こういう状態のある期間には非常にいいけど、飲み続けるものではなかったり。

ずっと飲み続けなければいけない薬があったとしても、それは長い目で見れば害になったりするわけです。

 

絶対にうまくいく方法はないし、ある方法に固執して、必ずやらなければいけないわけでもありません。

 

人間の脳は、非常に飽きやすく、いったん飽きてしまうと活性化しなくなります。

そういうところからいえば、できるだけ違う練習をすることが上達の鍵である、ということは言えます。

なので、悩んだらいろんな方法を試してみることです。

そうしていくうちに、悩んでいた目的とは別のことができるようになっていたり、ピアノではなくて、数学ができるようになっていたりなんてこともあります。

 

最近、「教えてもらう」ことが、ようやくうまくできるようになってきたように感じたので、書いてみました。

学びが終わることは一生ないので、これからもいろいろな先生に習う機会が私にはあると思いますが、そのたびに、指導する側、される側の両面が見えて、きっと楽しいことでしょう。

 

目指すところ(至るところ)に少しでも近づけるように、生徒のみなさんのお役に立てるように、これからも勉強がんばります。


好きなことを好きなだけやっていればどこまでも伸びていく

保育園年長男子、おもちゃのチャチャチャを弾いているレッスン風景です。

子どもが自分のしたいことを邪魔されない、興味の持てることをする、それだけで、才能を伸ばすことができるということが、よく観てとれます。

遊びの中でピアノをやって、ふざけながら続けていたら、いろいろ弾けるようになった。

こういうのが一番すきです。


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