興味がわくからこそ、よく観察できる、よく感じることができる。
興味があるからこそ、思わず全力を出してしまう。
全力をだしてしまうことだからこそ、大変でも快い。
快いから、苦が苦でない。
上の言葉は、野口整体の創始者【野口晴哉】の言葉です。
言葉の使い方は違いますが、フェルデンクライスやモンテッソーリ、心理学のアドラー等も同じ見方をしています。
『新井白石が少年時代に、夜、勉強をしていて眠くなり、裸になって水を浴びて目をさまして勉強を続けた。(冬の北海道のお話)』という『美談』を野口晴哉は揶揄します。
探偵小説ならいくら読んでも眠くならないのに、学校の勉強の本となると、水を浴びないと目が覚めないなんて、そんな話が美談とは、おかしなことだと言っています。
誰だって冬の寒い夜に水を浴びるのはイヤです。
それをしなきゃ勉強できないというのは、勉強が面白くないからだ。
あるいは、興味がわくような勉強のさせ方をしていないからだ。
面白くない勉強の仕方、させ方は下手くそだ。
指導している身としては少々(いやかなり)、耳が痛いですが・・・。
もっと楽に、もっと楽しんで、もっと快適に勉強する方法は必ずあります。
そして、その勉強法こそ、本当の学びです。
ピアノは新井白石のしていたような『お勉強』ではありません。
興味、好奇心、好きという気持ちなくして、続けられないし、そのような気持ちがもしないのであれば、レッスンの中身や練習方法を変える必要があると思います。
逆に言えば、興味があり、好きなのに、見た目に遊んでいるように見える、あるいは学力や部活が大事などという理由から、親御さんの判断でやめさせてしまうというのは、非常にもったいなく、かわいそうなことです。
ピアノ以外のいろんなことでも同じです。
好きであること、興味を持つことというのは、「そのもの」でなくてもいいのですよ。
『習っている先生が好き』ということでもいいと思います。
恋愛などでもそうですが、好きな人からは、いろんなことを吸収しますよね!
日本においては、苦しいことをやった先に何か得られるということが美化され、楽に獲得したことにはあまり意味がない、というような考え方がどうしても根強いです。
興味があり、好きであればなんでも楽です。
どうしたら興味をもってくれるのか、楽しんでくれるのか、好きになってくれるのか、日々勉強の毎日です。