指導する人間(先生)にもっとも必要なことは何だと思いますか?
シュタイナー教育の講座で参考になった二つ目のことについてお話します。
お子さんに習い事をさせようと考えるときや、ご自身が何かを学ぶために先生を必要とする場合に、何を思って選びますか?
シュタイナーは、
「何を語っているか」ではなく、「誰が語っているか」である。
と言いました。
「何を教えることができるか」でなはくて、「どのようにそこに存在しているか」これが重要であると。
つまり、知識うんぬん、教えることの中身よりも、その人自身の人格や精神が、安定したものであることが先生には必要だと言っています。
確かに、私が子供の頃好きだったピアノの先生は、偉大なるピアニストというわけではありませんでした。でもその先生の前ではのびのびと弾くことができて、自分の意見も言うことができ、グンと成長したのを覚えています。
私の息子は自閉症で人の好き嫌いが激しく、先生が変わるたびにどんな反応をするか、ひやひやします。
今まで、男の先生が好きなのかなとか、さらっと接してくれる人が好きなのかなとか、おもしろい人が好きなのかなとかいろいろなことを考えて悩んでいましたが、シュタイナーの言葉で、「ああそうか」と全てが腑に落ちた気がしました。
性別とか、おもしろいとか態度がどうのということではなく、その先生自身を見ていたんだなと・・・
この考え方は、教える対象が小さければ小さいほど重要であるそうです。
ですから、世界各国にあるシュタイナー学校では、幼稚園の先生がもっとも偉くてお給料も高いとのこと。
日本の教育は、一般的には年齢が上がるほど料金が上がっていく仕組みになっています。ピアノ教室もそうです。
子供の発達について学び、小さい子供を教えることの難しさ、重要性を知ってからは、この日本の仕組みはおかしいといつも感じていました。
はっきりいって、年齢が上がれば上がるほど教えるのは楽になっていきます。
知識さえあれば教えられるからです。
子どもは、触覚が十分に発達しておらず、他者との境界線が薄いことは前回お話しました。
先生の人格、精神の影響を受けやすいという意味でもあります。
先生が怒りっぽい方であれば、その影響を受けます。
先生が優しい方であれば穏やかでいられます。
先生が不安感を持っている方であれば、子供も不安になります。
このシュタイナーの言葉を聞いてからは、むしろ少し楽になりました。
だって、無理してがんばっても、見抜かれてしまう性質のものだからです。
また、先生にもっとも必要なことをフェルデンクライスの考え方で言い換えるとすれば、『自分を快適に保てる人であること』だと思います。
どんな時でも快適でいられる先生であれば、無駄な感情に突き動かされることがなく、物事の本質を見分けることができます。
肩書や実績に振り回されず、その先生をよく見てください。
そして、必要なことを兼ね備えている先生かどうか、見極めるその直感というべきものも、やはり自分自身の人格、精神が安定していることが必要だったりします。
自分が快適であるとき、見極める力は洗練されます。
私のフェルデンクライスのトレーニングは続いておりますが、シュタイナーの勉強も、必須であると強く感じました。
4月からまず半年間、シュタイナーの勉強に月2回行ってきたいと思います。
私が欲するものはいつも近くにはなく、片道3時間かけて勉強に行く旅がさらに増えますが、生徒のみなさんによりよいレッスンが提供できるようにがんばってきます。.
少しお休みが多くなるかもしれませんが、何卒お許しくださいませ・・・
おまけ:さちの本棚
心身の調和を求めて感覚の不思議に分け入り、身近にある感覚世界を解説しています。
シュタイナーの入門の書ですが、初心者が読むのには少し難解かもしれません。が、とても勉強になりました。