自分が正義だと思いこむ人がいかに恐ろしいか強く感じたのがコロナ。

コロナとは全く関係ない、自閉症10歳の息子が描いたスポンジボブ。
まさしくスポンジボブ!
。。。文を始めます。
コロナが発症した人の中には無症状の人、重症化してしまう人、亡くなってしまう人、軽症、かからない人などいろいろいます。
ワクチンについても、副反応が強く出る人、ワクチン接種がもとで亡くなってしまう人、重い副反応状態になる人、ごく軽い副反応で済んでる人、何ともない人など様々です。
だから感染・発症するにしても、ワクチンを打つにしても、それなりのリスクはあります。
どうするかは、個々人で決めるしかありません。
『みんながやっているから、国が推奨しているから、テレビで報道されているから』と人に判断を委ねるのではなく、自分のことは自分で決める必要があります。
感染・発症したあと、ワクチンを打ったあと、あるいは数年後に何らかの形で後悔することになったとしても、自分でしっかりと決めていなければ、必ず誰かのせいにすることになります。
ワクチンを打てば感染しなくなるわけではありません。
また、徹底的に予防をしていれば、感染せずに済むわけでもありません。
感染・発症する可能性は必ずあります。
だから感染を避けようとやっきになっている人というのは、そもそも最初から負ける勝負に挑んでいるようなものです。
重症化したくないからワクチンを打つ、自分を守るためです。
他人は関係ありません。
決めたものには必ず 何らかのリスクはついて回ります。
それは決めた時点で引き受ける。
そうしてやるべきことをやりつつ、毎日を過ごす。
私が一番イヤだなと思ったのは、ワクチンの接種をまるで正義だと考えて、いろんな人に強制する人です。(ワクチン接種反対を正義と考える人も同じですが)
それがわりと地位のある人だったりお金がある人だったりするとさらにやっかいなんですよね。
だってそれは自分で決めることです。強制してくる人は、その人の人生の責任まで負えるんでしょうか。
コロナによって『信頼できる人だと思っていたけどそうではなかった』と感じたり、逆にこうした状況下でかえって『信頼できるということがはっきりした』というのもあります。
世の中の全てにおいて『絶対的な正義など存在しない』と認識すること、そして『自分で選択する』ということがいかに大切か、コロナ禍だからこそ学ぶことができていると思います。
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