教室にお掃除に来てくださっている方がいます。時折お家で取れた果物や季節のお料理など持ってきてくださいます。
※上の画像は、本文で出てくる「バーニングマン」の画像。
まず、これを書くのは私がものが欲しいわけではありません。
小さい子供の生徒さんが、お手紙を書いてきてくれることがあります。
字が書けるようになったからそれを見せたい、それをあげて喜んでもらいたい、自分が先生を気に入っていることを表したい、というような気持ちだと私は思っています。
また、夏休みなどでどこかに遊びに行くと、お土産を持ってきてくれる生徒さんがいます。
お土産品が売っていたりすると、なんとなく誰かに買っていこうかなと思ったりしますよね。それで、「先生に買っていってあげよう」と思ったりするのだと思います。
他にも年末年始の区切りなどで、お菓子だったり果物だったりその方のおすすめの特産品だったり、感謝の品だったりを頂くことがあります。
学生時代、ある友達が私の誕生日に必ずお菓子を作ってきてくれました。私はいつももらうばかりでした。
でも何故か毎年くれるのです。
お世話になっている、感謝しているということでなく、その人をただ好ましいと思っている、それだけで何かの折につけ、それを気持ちに表したいなと思ったりするのが上のようなギフトなのかもしれません。
だから頂くときには少なくとも嫌われてはいなくて、好まれてはいるのだろうなと感じたりします。
(まあピアノの生徒で私を嫌いだったら、そもそも来ていないとは思いますが。。。)
でもそれを頂いたからその子へのレッスンの仕方が変わるわけでもないし、何か特別な約束されたことが起こるわけではありません。
ギフトを渡す側も見返りは何も考えていないと思います。
ちょっと寄り道しますが、アメリカに「バーニングマン」というイベントがあります。
Googleの創始者ラリーペイジが好んで参加していたことで有名なイベントです。
外部から遮断された砂漠でインフラ整備は皆無、キャンプ場どころか水はなんとか確保できるという過酷な環境の中で野宿しながら、1週間の共同生活を過ごすというもの。
すごく面白いのが、「人に与えることはできるけれど、見返りをもらってはいけない」というルールがあることです。
最終的には『人に、もっとも多く与えた人がもっとも富や幸せを得る』ということが本当に起こるようです。
人に水や食料、必要なものをあげまくった人が最終的にはメリットを得ると。
見返りを求めずに自分のものをあげる人は、信頼されるということですね。
Googleの基本的な考え方でもあります。
いかに人の役に立つか、役に立つ情報を与えられるか、それをとにかく目指している会社がGoogleです。
そして、文字通り巨額の富を得ています。
仏教で有名な話。
ある僧侶?が旅をしていて、食べ物がなく行き倒れになりそうになっていた。それを助けようと動物がいろいろ考えた。でも厳しい環境で何もできないということに気づいた。それでうさぎが自ら火の中に入り、自分が食べ物になった。
これは、自分が死んでどうするんだと思うかもしれませんが、もしうさぎに子供がいれば子々孫々まで名誉を与えられたでしょう。
ビジネスの世界だったら、それだけで孫の代くらいまで生きていけるくらいの名誉を得るかもしれません。
そういう偉人、たくさんいますよね。
こうした考え方はいろいろな宗教の根幹にあることが多いので、宗教家で成功している人が多いのもうなづける内容です。
話を戻します。
そういう「人に与える」という自然な行為を、お金にしか換算できない人が残念ながらいます。
そのような人は、損を出さないで得をしているようで長期的に見れば、損をします。
結局自分のことしか考えられない人は、生きづらいということです。
打算的な人が勝利し続ける世の中ではないことを、どうか信じて欲しいです。