ある音楽冊子の特集で神経科学者の澤口氏が『習い事はピアノだけでよい』と題名に記した執筆がありました。
言い切っているのが面白かったため読んでみました!

まずは澤口氏のプロフィールです。
神経科学者、認知神経科学者、理学博士。武蔵野学院大学大学院教授。
出身:京都大学、北海道大学。
著書に「幼児教育と脳」「学力と社会力を伸ばす脳教育」「夢をかなえる脳」「老いは脳科学的に素晴らしい」など多数。
人間性脳科学研究所(HNI,Humanity Neuroscience Institute)の所長として,脳育成学的諸研究の他,脳科学に基づく社会還元や発達障がい改善(教育相談)を行なっています。
一時期テレビにたくさん出演されていたので見たことがある方もいらっしゃると思います。
下記は記述を引用。
ピアノ以外の習い事は、『知能の向上という目的で科学的に立証されているという観点』では無意味説を唱えていますが私の意見ではありませんので念のため。
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一方ほとんどの習い事は進化的な方法・営為ではありませんから知能や脳の発達に無意味なわけです。
一見良さそうな水泳にしても営為進化的ではないのでやはり無意味です。
もちろん水泳というスキルを身につけるという意味はありますし何らかのスキルを身につけるための習い事は他にもあります。
しかし知能の向上にはほぼ無意味です。場合によっては特定のスキルを伸ばすことでそのスキル用の神経システムが過度に発達してしまい脳の全体的で良好な発達が阻害されてしまいます。
訓練的な習い事は概して無意味か悪影響ということですね。
ちなみに0〜6歳を黄金期と称して幼児英語教育をするなどというとんでもない習い事もあります。
第二言語の習得に黄金期(臨界期)などないことは脳科学的には常識の範疇です。幼児英語教育ではスキルもほぼ身につけられないのでこの点でも無意味です。それどころか場合によっては悪影響です。
特にスマホやタブレットあるいはテレビなどを使った方法が問題です。
スマホやタブレット、テレビを研究的にはスクリーンということが多いですが、英語教育に限らず幼少期でのスクリーンの使いすぎは脳の発達を大きく阻害し「情動行動障害EBD・・・各種発達障害的な症状が合併したような障害」を引き起こします。
習い事で散見される知育的コンテンツもダメです。
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※オトノトビラ巻頭特集より引用
否定はしないのですが確かに、英語を小さい頃から習っていて喋れるようになっている人をほとんど見たことがありません。
小学3年くらいですでに英語をペラペラに話せた甥がいますが、彼の場合は習っていることに加えて姉夫婦が日常的に英語を使い、長期休みではマレーシアに連れて行ってインターナショナルスクールに入れ、英語しか使えない空間で過ごすということをやっていたからです。語学は適当にやっていても入りません。
これは、人間の脳が使いやすい方を選んで使ってしまう性質があるからだと思います。
この後にピアノが良い、と書き連ねられていますが、『楽器の習い事は総じて良い』ということのようです。認知神経科学者という地位にいる方がなぜこれほど他の習い事は知能の発達に寄与しないと断言しているのか不思議だったのですが、最近ホットヨガを始めて数回受講して急に理解しました。
楽器の習い事以外は全て『エクササイズ』になってしまうということなのです。
脳科学を基礎とした動きのメソッド「フェルデンクライス」を私は日々学んでいます。
フェルデンクライスは見た目はヨガにとても似ているのです。
でも実際ヨガをやってみると、フェルデンクライスとの間にはびっくりするほどの大きな差がありました。
最初と最後に自分を感じる時間がヨガにもフェルデンクライスにもあります。
でも、ヨガをやった後は「汗かいたな、疲れたな、運動したな、ちょっとここが痛いな」と感じることはあってもフェルデンクライスのように、
穏やかに落ち着いた気分になったり、
静けさを感じったり、
いろいろな考え事がぐるぐると巡っていたのが答えが見つかったり、
過剰に働いていた筋肉が余計な仕事をしなくなったことで体の後ろがペターッと床についたり、
さっきはこれが限界と思っていた動きができるようになっていたり、
その後ピアノを弾いてみると上達していたり、
という違いを感じるということがヨガにはないのです。
ヨガには徒歩3分で行けるのですぐ帰ってきてピアノを弾いてみましたが弾きやすさや変化、効果は感じられませんでした。
もちろん、私のような「ヨガ初心者はこう感じる」、ということで熟練のヨガの方は違いを感じるのかもしれません。
「学ぶ」「上達する」ということは『違いを感じること、見分ける力があること』だとフェルデンクライスは述べています。
ドとレの音が違うことがわかる、
大きい音とそれよりほんの少しの小さい音を聞き分ける
どこでビブラートが効いているのか効いていないのかその差がわかる
リズムがタータタなのか、タタターなのか違いがわかる
などなど。
私の自閉症の息子は電車オタクですが、蒸気機関車の音を聞いただけでどこを走っているどの機関車なのかわかります。これも「感じ分ける」能力です。
フェルデンクライスは非常に小さな繊細な差を見分ける感覚を身につけることが「能力の向上」だと言っています。
手の上にスマホを置いたらその重さを感じるのは容易いでしょう。でも手の上に蚊が乗ったらその重さを感じるのは難しいでしょう。
感覚を使い違いを見つけることが「能力の向上」、つまり「知性の向上」だと言っています。
私はフェルデンクライスによって体験から脳科学を学び、どれほど楽器演奏が脳に良い影響を与えるかはよくわかっていました。
ただ、他の習い事でも同じようなことは起こるかな、と感じていたのですが、それはある程度『突き詰めた』場合にしか起こらない。
ということなのだなと感じたのです。これは『意識的に行うかどうか』というところにポイントがあります。
水泳はただ泳いでいるだけでは単なるエクササイズです。
もちろん健康になります。これは非常に重要なこと、でもエクササイズでは違いを見分ける能力は身につかないのです。
オリンピック選手や、そこまでいかなくてもどのようにしたら上達するかいつも工夫して変化させる人がいたら、その人は工夫することで手応えの違いを感じとることになるため、知性の発達に繋がります。
これを聞いてわかる人とわからない人がいると思いますが、
『意識を向けているか、それともただ自動化してやっているのか。』
その差で変わってくるのです。
楽器演奏以外の習い事を大雑把にやる(意識を向けていない状態で行う)と知能の発達は望めない、そういう意味なのです。
楽器演奏が他の習い事と違うのは体をバラバラに分解してそれを高度な技術で非常に小さい差を感じながら使い分けるというところにあります。やっている作業だけで能力が発達するのに加えて、いつも新しい曲に出会うというのがまたすごいところです。
新曲になると、今までに取得した能力をまた別の方法で使い分けることになります。使い方も全部違うので作業を意識的に行う必要があります。
新曲を演奏している時の脳が通常では起こらないような変化を起こしている実験をNHKあたりの番組で見たことがあります。
しかし楽器演奏の落とし穴というか、自己満足なら良いけれど能力の発達には繋がらない練習方法もあります。
それは同じ曲を同じ方法で自動化させた動きにより何度も反復する練習です。
5回くらいまでの反復は慣れるという意味で必要な作業ですが、何10回、何100回と繰り返される反復作業は効果がないばかりか体を傷つけ脳を混乱させることもあります。
私の持っている難病(指のジストニア)はこうした要素によるものも入っていると思っています。
ここには能力の向上、知性の向上はありません。
同じ曲でもそこに工夫があり変化を求めて練習すれば違います。
もちろん上達にもはっきりとした差が生まれます。
シンプルに言うならば、私が初心者ヨガで意識を向けず言われるがままにやってみて疲労感や汗をかいた感じしかしなかったように、楽器演奏以外の習い事では『ただ言われるがままにやっていたら』能力の向上、知的発達という意味では無意味だということです。
楽器演奏は工夫がなくても、知的発達できるような仕組みがすでに備わっているため「習い事はピアノだけで良い」と言い切れるのだと思います。
いろいろ書いてきましたが、前提として体が健康でなければ感じ取る能力は向上しません。
能力というのは神経細胞同士に電気信号を流す作業なので、その神経細胞自体が健康でなければそこに正常な電気信号は流れないからです。
ですので健康を維持する習い事は、特に動くことが制限されるこの時代では必須だろうと思っています。
私の自閉症の息子(中学2年)はスポーツ関係の習い事は、合気道、ボルダリング、水泳、ビジョントレーニングをやっています。
毎年スキーに行ってスクールにも入っています。
話がそれるけれど汗をかかないことで体調を害する場合には非常に多く、特に私のように更年期という時期にある人は意識して汗をかく必要があります。体に溜まった水分が冷えて体温が下がり、血流が悪くなり様々な臓器に支障をきたすのだそうで。
だからホットヨガに行き始めたんですよね、動きは目当てではありません。
本当は汗をかくスタジオの中でフェルデンクライスをやりたいところです。
だって、辛くても休んじゃいけないって言われてじゃあ限界に達したらどうしたら良いんですか?って思ったり、呼吸はこうしてくださいって、呼吸くらい自分の自由にさせろとか言いたくなっちゃうんですよね。
まあ自由に休むし、もっと伸ばせと言われても痛くなるからしないし、呼吸をこのようにしろと言われてもやらないですけど(笑)
風邪でしばらく走ることができなかったのですが最近は夜にジョギングをしています。これがめちゃめちゃ良いんです!
ジョギング大好き!
澤口氏が述べていた『訓練的な習い事は無意味か悪影響』というのは楽器演奏でも起こりえます。というかありまくりです。実際そのように育てられてきた私が断言できます。
だからこそ指導者の質なのです。
何が良くて何が適切でないのか、まさに「識別している」指導者に習いたいものですね!
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